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cattiveria (イタリア語)
:[女][カッティヴェリア]
悪意、意地悪、悪行、悪ふざけ

最初にこの「 cattiveria 」と言う言葉を知ってから
3 年が経とうとしています.
cattiveria limited 」というタイトル及び名称は
私の個人的「音楽活動」における portfolio
「商品化」を行う会社
「永野商店クリエイティブ」の一つです.

簡単に言うと
とっても小さな「 indies label 」名とともに
私の個人の活動指針であります.
以下の text2003年の5月に挙げた、
前の web での definition です.

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僕がほぼ毎日読んで
5 年くらいになる
コピーライター糸井重里さんのサイト、
『ほぼ日刊イトイ新聞』 http://www.1101.com
の数多いコラムの中に、
『ぼくは見ておこう。松原耕二の、ライフ・ライブラリー。』
http://www.1101.com/watch/ があります。
ある日、そのコラムでとても興味深い記事がありました。
以下その中からの抜粋です。


〜〜〜〜〜
…それが『カッティヴェリア』(
Cattiveria)だったのだ。

イタリア語の辞書をひいてみた。
1)意地悪、たちの悪さ、悪意 
2)悪事、悪行 

とある。
塩野が好きな選手に共通するのは、
こうした悪意を持った選手ということになる。
ところがこのカッティヴェリア、日本語の悪意とは
ちょっとニュアンスが異なるようだ。

塩野は語る。
「カッティヴェリアは単なる悪意ではない。
  言い換えれば究極の自己中心主義で、
  自分のためにプレイしているのだけれど
  結果はチームのためになるというやり方。
  チームの利益になるか否かには関係なく
  自分のためのみを考えるという利己主義とは
  まったく違うのです」


※塩野…塩野七生(小説家)


『ぼくは見ておこう。松原耕二の、ライフ・ライブラリー。』
http://www.1101.com/watch/2001-10-02.html より。


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この中で当サイトの題名である言葉
『カッティヴェリア』(
Cattiveria )に出会いました。

本来は「意地の悪さ」など文字面で見ると、
日本で言うところの個人的や利己的という
ネガティブな意味で捉えられますが、
この言葉の本来の意味合いは上の文章のように
むしろそれとはかけ離れた意味を持ちます。

この言葉と出会った後、この言葉のニュアンスは
さまざまな経済書や小説の中、
現在の世の中の動き、
そしてこれからの自分の創作活動などを
見据えていくうちに、
この言葉の持つ本来の意味が
それらと否応無くリンクしていくのを感じました。

今からの時代を生きていくうえでの
自明な「モデル」は存在していないし、
そのことをうやむやにして誰もアナウンスしない。
むしろ益々個々の存在やスキルが
多様化していくのに対し
何処かの既得権益層のように、
その事実を受け入れようとしていない。

そのような個々の多様化の中、
自分にとって『イイモノ』とは何か?
を突き詰めていくことや
「個人のスキルアップ」を考えていくことが
大儀的に大事なことではないか?
むしろそういう時代になっていくのではないだろうか?
『チーム=社会』という図式が
成り立つと仮定するなら、
『個人』と言うちっぽけな存在だけれど、
そこへ向かうと「何か」あるのではないだろうか?

…などの疑問と自分自身の今後のいろいろな活動、
またそうなりたいという指針の元、
このページのタイトルを
この言葉"
cattiveria "に決めました。



いかがでしょうか?

20030511 唐津にて

白橋 哲 拝


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