ここ数年良く聞かれるようになった
「 risk(リスク)」と言う言葉.
多分 negative な印象を受けることと思いますが、
この機会に正確な定義と意味と
それに関して「自己実現」の強要化について
書いてみたいと思います.
そして今回は
山田昌弘著
「希望格差社会
―「負け組」の絶望感が日本を引き裂く」
と言う書籍を核にして話を進めて行きます.
●
それは、村上龍氏の
「希望の国のエクソダス」のなかで、
「この国には何でもある。
本当にいろんなものがあります。
だが、希望だけがない」
という不登校中学生の国会での質疑のなかで放つ
ダイレクトな text で表現されているように、
「以前」のように
「すべての国民の努力が報われる」という
「均一化された」incentive は
無くなっています.
それに「不安を煽り」「自分とは切り取られた情報」を
「傍観者」的に垂れ流す報道に日常接する中では
やはり、「以前」の共同体メカニズムのなかの
context のままであるという
「錯覚」しか見ることしか出来ません.
「一億総中流:みんな一緒」という言葉どおりを
疑いも無く信じるだけで、
「自分は『普通』である」と言う安心をモトに
傍観者的に「勝ち組」「負け組」に
他人を分けてしまいがちですが、
実は自分が既に「経済的」「精神的」な「格差」に
現実的に取り込まれてしまっている状況を
我々はどのように「生きて」行けば
良いのかということを
考える一つの factor として書かれています.
●
ではまず、
「 risk 」という言葉の定義を正確に定義します.
元々語源はイタリア語の
「 risicare :勇気を出して試みる」
と言う言葉が語源です.
現在では「 risk 」と聞くと
「危険性」という nuance で
とられることが多いのですが、
正確には
「『何かを得るため』についてまわる危険性、
『必ずしも出会うわけではない』というニュアンス」
という意味でとらえるほうがより正確です.
そこには
「選び取る:choice」
と
「目的:purpose 」
が含まれており、
「その『危険性』に出会う
『かもしれない』状況に身をさらして
何かを達成しようとするとき」
に発生します.
付け加えて
「uncertainly:将来の予測がたたない状況」
のなかで
「生起する危険の内容について想像でき、
ある程度計算可能」
であるということです.
簡単に言えば、
「リスクは、単に『危険なこと』ではなく、
人を惹き付ける何かに潜むものと言う
ニュアンスが含まれている。
地雷原を歩くのはリスクが大きい、
と言う言い方は変だ。
たとえば地雷原の中に大昔の宝物が埋まっていて、
それを掘り出そうとするような場合に、
地雷原は初めてリスク要因として成立する。」
村上龍(著)
「人生における成功者の定義と条件」P6より
●
現在では誰も彼もが
「自己責任: accountability
」
を軽々しく他人に押し付ける社会に移行しています.
まず、この「自己責任」についての定義ですが
「自分自身のことに対して、自分で決定する.
そしてその自分で選択したことの結果に対して
自分で責任を取る」
ということです.
これは「以前:高度成長化社会」における
「相互扶助」、「共栄共存」的な社会の変化に伴い
「自分自身で『 risk 』を取ることを強制される社会」
「選択を強要される社会」
が生み出されてきているということを示しています.
また上記では
個人的に「他人に押し付ける」と書いたのは、
おそらく万国共通だと思うのですが
「自分で『責任』を取れない
(もしくは判らない)ヒトほど、
他人の『責任』に敏感である」
という判断からです.
つまり「傍観者」になり、「安心」したい
という心理が働くのではないでしょうか.
また本著では詳しく
この国の「前近代社会」から「現代社会」の
人々の「安全」「危険」の認識の違いを書かれています.
●
「『 risk 』を取る社会」と言われている、
実際に我々が生きる現代社会とは
どのようなものなのでしょうか.
「以前」は「生きる目標」はむしろ自明なものでした.
第二次大戦後、「豊かになる」ということが
first priority となっており、
ここで言う「格差」はあまり目に見えてこず、
「みんな一緒なのですから、
みんなで助け合いましょう」
という価値観の方が強かったのではないでしょうか.
また、経済的格差はあまりみられず、
上記の「一億層中流」と言う言葉どおりに
「自己実現」よりは「豊かになる」の方に
priority が置かれ、
ある程度の職種も限定されていました.
その後、先の目標はある程度達成され
「マスプロダクション:大量生産、大量消費」
の時代と移り
ある程度の「余裕」が生れてきました.
こうしてわれわれは
「自由な人生の選択が可能な社会」
という社会に生きられるようになりました.
この「自由な人生の選択が可能な社会」
を言い換えると
1.「選択に伴う新たな危険に
出会う可能性がある社会」
2.「 choice の結果、
『人並みに生活すら出来なくなる可能性』が
生じる社会」
となります.
これは以前に機能していた
『「相互扶助」する「共同体」』
(= safety net)
が無くなってしまったことを意味しています.
このことは
「 negative 」にみるか
「 positive
」によって
ずいぶん変わってきます.
「自分自身で risk
を取る」
ということを
「内部 risk」
と本著では読んでいるのですが
これは
「『よりよいこと』を目指し、選択する」
ことによって
「自己実現できる」
ということを意味します.
すなわち
「自己実現:自らの意志で選択し、
自分で思い描いた状態を実現すること」
という選択肢が現れました.
ただ、この選択肢から生じる問題は
何故か「自己実現」を一様に
強要されてしまうことが挙げられます.
この国ではやはり「以前」の context
が
未だに残っており
それが良く機能している反面、
悪く機能している部分でもあるのですが、
このように「自己実現」の必要性が
生じてきている場合、
「さぁ、皆さん『自己実現』しましょう!」
というスローガンがannounce がされます.
すなわち「誰もが出来る方法がある」ということを
担保として話が進められるのです.
それは、ひとりひとりに fit した方法( know-how )
は全く無視され、
ここでも「画一化」されてしまいます.
それに付け加えて、
この問題を「画一化」してしまうと
見えてこないことがあります.
それは個人個人の「生き方」です.
社会のシステムや考え方が変化すると、
人々の価値観や判断基準や
生き方の選択も変化していく。
(中略)
それは雇用システムだけの問題ではなく、
生き方の根源に関わることなので、
当然人々の考え方や価値観も
変化を迫られることになる。
だが、そういった変化に言葉や概念は
うまく対応できていない。
リスクと言う言葉を日本語に翻訳できないのは、
会社への忠誠心や献身と引き替えに
会社が庇護してもらうのが
当たり前と言う社会では、
人を惹き付ける何かに
潜む危険・不安要因と言う概念が
存在しなかったからだ。
同「人生における成功者の定義と条件」P6
個人個人の「生き方」を
十分に推敲している人にとっては
このような「自己実現」できる環境は
ものすごく有利になります.
ただ、それに対する cost は、
「自己責任」という大きな代償を
払わなくてはいけません.
では、その一方で「実現できない」人たちは
どうなっていくのでしょうか.
「 #002 」へつづく.
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「希望格差社会
―「負け組」の絶望感が日本を引き裂く」
山田昌弘(著)
筑摩書房
ISBN: 4480863605

「人生における成功者の定義と条件」
村上龍(著)
NHK出版
ISBN: 4140808829

「希望の国のエクソダス」
村上龍(著)
文芸春秋
ISBN:4167190052
尚、抜粋した文章の著作権は言うまでもなく
原本著作者にあります.
また、本文中の著作者のテキストの改行は
筆者が行いました.
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白橋 哲 拝
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