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「寝ながら学べる構造主義」を書かれた
内田樹さんの blog を見つけました.
( 内田樹の研究室 )

何気なくみていると
「2005年01月14日 自立とは何か」

とこれまた興味深い内容のテキストがありました.




これまでの人生を振り返っても、
現在の work の状況をみても
「依存」と「自立」はセットで考えていることでしたし、
一応の自分なりに出した答えは持っていました.

前提条件として私の考える「自立」は、
意識的にも無意識的にも
「その人(事・物)が無くても生きていける事」
ということでした.

そうするといささか乱暴な言い方ですが
「本当に『自立』した人間はいない」
と言うことに辿り着きます.

これは、私がこれまでの経験値から出した答えでした.

若い頃(20代前半)は特に同年輩や年上のヒトに
よく言われる言葉だと思います.

この社会で言うところの「自立」とは
お節介な説教を含めると多分第三者が語るのは
「経済的自立」のことと思われます.





「お前は甘えている. 社会を知らない. 自立しろ.」

各言う私はこの 3 words をよく言われました.

反発する気質を持ち、
固定概念のカベが強い私としては
このような言葉を言われると冷静になれなくなったり
露骨に感情的な「反論らしきもの」を言ったり、
その後にもその言葉に「違和感」を
ずっと持ち続けていました.

その反面中途半端に「音楽」を仕事をする人にとっての
最大の命題である
「一般社会からの疎外感」も感じていました.

そのような factor を持ち続けて
次第に多様な知識や経験値を備えていくと
不思議と感情的にならなくなっていました.





経験値としての実例を少し挙げてみます.
※これらには少なからず私の悪意も含まれています.

・ある人が「お前は甘えている!」と私に憤慨しました.
  その人は自分個人のプロジェクトで
  実家の両親に多額のお金を借りました.
  しかし返す気配はありません.

・またある人も同じようなことを言いました.
  その人の結婚式に出席した際、
  いくら自分がその人の両親から
  『自立』していると言っていても
  やはり親は何時までも心配するものだと思いました.

 



例えば「社会の厳しさ」と言います.

では「社会」とは何でしょう.

答えは簡単です.
「人の集まり」です.

このように説教する人は何故か基準は
「自分(その人)の経験値もしくは思考回路の範疇」です.

これは「私」の経験値ではありません.
また、その人と全く同じような経験を私がするという
必須条件はありません.

すなわち、これは多様な context を無視した
お節介な押し付けと言う一面もあります.

因みに実は「甘え」の一種とも言えます.
宮台真司さんのいう
「主体性の奴隷」という言葉も当てはまります.




個人的には「社会の『厳しさ』」より
「社会の『楽しさ』(快楽性・充実性)」を
announce したほうが
motivation は上がるし合理的だと考えています.

何故なら、人間は大いにして
「何らかの benefit 」が先にあることを認識して、
その motivation を高めていくことが合理的であるからです.
いきなり「カベ」をつくり、その「代価」を払うことを
must にしてしまうと、
motivation は下がるばかりだと考えるからです.

すなわちどちらを先に announce するほうが
合理的であるか、ということです.

 



では、内田さんのテキストを観てみましょう.

「自立とは何か」
ということについて、私はこれまで何度も
いろいろな機会に語ってきた。

ひとことで言えば、それは
「自分がどのような依存関係に含まれているかを
俯瞰できる知性を持つ」
ということである。




と、最初から自分の出した答えを、
もっとステージを上げたテキストでしたので
とても嬉しかったのは確かです.

先に行きましょう.



奇妙に聞こえるかも知れないが、
「自立」を基礎づけるのは、
「自立」という個別的な事実を宣言することではなく、
「依存」という包括的な関係を意識することなのである。




このテキストは私が先に上げた
「本当に『自立』した人間はいない」
ということから出発してみても分かりやすいですね.

自分が如何に「依存しているか」という視点を持って、
自分を改めて確認すると言うことです.

できますか?




「自立していない」存在を考えればすぐにわかる。
幼児は自立していないが、
それは自分が「何に依存しているか」を
ことばにすることができないからだ。





内田さんのテキストはとても明解ですし、
すがすがしいです.

それでは、先に上げた「お節介な人」について.
(もっと広義です)




幼児的な大人の場合には、
自分が「何に依存しているか」を
ことばにできる場合もある
(「家族」とか「会社」とか「教祖さま」とか
「イデオロギー」とか)。

しかし、「幼児的な大人」は、
何が「自分に依存しているのか」
をことばにしようとする習慣がない。

自分がいることで何が「担保」されているのか、
自分は他の人が引き受けない
どのような「リスク」を取る用意があるのか、
自分は余人を以ては代え難い
どのような「よきこと」をこの世界にもたらしうるのか、
といった問いを自分に向ける習慣がない。





深く見て行くとこの習慣は
「戦略的 communication 」にもつながって行きます.

因みにこの「戦略的 communication 」とは

最終的に自分の利益になるように
コミュニケーションを制御すること。

相手から自分の利益になる行為を
引き出すためであれば、
おべんちゃらを使ってもいいし、
拙劣なカードに付き合うフリをしてもいい.
目的となる利益を引き出して、
終わってからぶったたいてもいい。

「不安の正体!」
金子 勝 他 (著), より
宮台真司さんのコメント

今までのこの国の context 内では、
「甘え」を伴う誤った認識の基に
むしろ「敬遠されていた」と言っても
過言ではないと思われます.


すなわち、「自分の利益」を最優先すること
は嫌われる傾向にあります.

いささか乱暴に言えば
「存在していない」ということかもしれません.



簡単に言うと例えば
「オレがこれだけガンバッテいるんだから
オマエもガンバレ」的、とでも言いましょうか.
そこには「オレ」という「主体性」しかなく、
「オマエ」という「他者性」は存在していません.
これは「甘え」です.

ここで「オマエ」に対する明確な incentive は、
完全に無視されます.
逆に「オレ」に対する incentive を明確に提示すると
この国では浮いてしまい
嫌われる可能性の方が高いですね.

この communication skill の問題は
日本人の特性とも言えるし、
高度成長化時代の context からも説明出来ます.
それに、現代で様々な弊害を齎しています.





生きている限り、私たちは無数のものに依存し、
同時に無数のものに依存されている。

その「絡み合い」の様相を適切に意識できている人のことを
私たちは「自立している人」と呼ぶのである。

だから、自立している人は周囲の人々から
繰り返し助言を求められ、
繰り返し決定権を委ねられ、
繰り返しその支援を期待される。




「<私たち>は『自立している人』と<呼ぶ>のである」
の主語「私たち」に注目して以下のテキストを観てみましょう.




「私は自立している」と
いくら大声で宣言してみても無意味である。
自立というのは自己評価ではなく、
他者からの評価のことだからだ。
部屋代を自分で払っても、自力でご飯をつくっても、
パンツを自分で洗っても、
助言を求められず、決定権を委ねられず、
支援を期待されていない人は、
その年齢や社会的立場にかかわらず、「こども」である。





ヘーゲルのテキストを追加します.

『<私>は関連する内容であると同時に、
関連するそのものである』

…ヘーゲルは<自己意識>なるものを規定し、
人間はただ単に自己(私)と客体(他人・モノ・事象)を
離れ離れにするだけでなく
媒体として客体に自己を投影する事によって
行為的に自己をより深く理解することが出来ると考えました.

つまりわたしたちは、
自己と客体を常に交換し投射しあって
<自己意識>を確立しているということ.

判りやすく言えば自分で声高に「自分はこうだ」と叫んでも
それは「他者」を受け入れることや出会うことでしか
自分の評価やこれからの可能性は開けないということです.




先に上げた「お節介な人」たちは、既にこちらの「主体性」
(その人から観たら「他者性(客体)」)を無視して
自分の文脈だけで「客体」を判断すると言う傾向がありますね.
それでは正確に communication できませんね.

そのためにはまず、
「相手(客体)が何を望んでいるのか、何を話しているのか
を正確に『聞く』こと」から始めなくてはいけません.






要するに偉そうに「自立しろ」と
お節介なことを言ってくる人は
相手にしないでも良いかと思われます.



そんな状況になった際は
一言「自分のことは自分で決めるので」
と言えばいいでしょう.






余談ですが「オレは会社員で経済的にも自立して偉い」
という人をたまに見かけますが
実は「会社」という「モノ」に依存しているということを
きちんと認識出来ているのでしょうか.

 

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内田樹の研究室

「2005年01月14日 自立とは何か」





「寝ながら学べる構造主義」

内田 樹(著)
文芸春秋
ISBN: 4166602519





「不安の正体!」

金子 勝 (著), 藤原 帰一 (著),
宮台 真司 (著), A・デウィット (著)
筑摩書房
ISBN: 4480863583




「海辺のカフカ(下)」

村上 春樹著
新潮社
ISBN: 4103534141




尚、抜粋した文章の著作権は言うまでもなく
原本著作者にあります.
また、本文中の著作者のテキストの改行は
筆者が行いました.

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白橋 哲 拝 


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