先日ジムのウォーキングマシーンで汗を流していると、
音の無いテレビから「ヒドイ!日本人の落書き」をいう
タイトルの番組が放映されていました.
イタリアの「ドゥォーモ」や「サクラダファミリア」、
イースター島の「モアイ像」、
オーストラリアの「エアーズロック」
など誰もが一度は写真等で見たことはあるだろう
遺跡や歴史的資産に
日本人の観光客の落書きがかなりある
という情報でした.
まずそれはショックな映像でした.
専門家のテロップは、
「モラル以下の行動です」とのコトでした。
それは僕も一票入れたいと思いました.
具体的には
「今ここで結婚しました」や個人の名前.
文面から言うと若者(30歳以下?)くらいの、
観光客、もしくは新婚旅行のカップルによるものでした.
まぁ、僕は良く壁に書かれてある暴走族の落書きや
公衆便所の落書きの延長上にあるものに見えました.
あきれ果ててしまう行動です.
心の中でははっきり言って、
「そんなバカップル不幸になれ!」
なんて思ってしまいました.
そんなアホ以下のことなんで?と思います.
僕は一度も海外に言ったことは無いのですが、
「そんなヤツは海外に行くな!」
みたいな嫉妬も当然含まれた感情もありました.
画面の中では神妙な顔や、
「どうしてそんなことをするのか理解できない」
見たいな顔で語り合ってます.
それも同意できます.
ただ例えばの話、
「昔の日本(人)はこんなじゃなかった」等の
話が出てきたり「わたしは常識人だからしない」、
(実際に音を聴いていないのでわかりませんが)
という会話がなされていたらのなら、それはどうでしょう?
本当にそれだけで良いのでしょうか?
それに、「どうして」という理解を超えたことに対しての
反応に似たことが、
この行動のモチベーションであるということも
ひとつであるということを語り合ったのでしょうか?
「判らないもの(自分の都合が悪いもの)」
もしくは「自分のわかっていないもの」=「排除」
という甘えから海外の遺跡や
歴史的資産の価値を知ろうとせずに、
それは許されるという依存的公式があることは
語ったのでしょうか?
「何故そのようは行動をとるのか?」ということは、
多分全く語られていないでしょうね.
ある意味「クサイモノには蓋をしろ」的な感じに見えました.
結局、そこには共通意識(コモンセンス)が大きく、
根付いているような気がします.
一番重要なことはそこのような気がします.
日本的な「あうんの呼吸」は別に否定していませんし、
もちろんいいところもあります.
しかし危機感の無い集団意識はいかがなものか
といつも思います.
まぁ、僕自身不完全でかなり問題のある人間ですので、
あまりえらそうなことを言える立場ではないのですが.
ただ、同じ日本人がしてしまったことだし、
まず自分がその場に行く機会があったとして、
不快な思いはしたくないですし.
多分誰も彼らに「何故ダメなのか?」という
モラルを教えていないし、
その遺跡は道路の電柱のように、
むしろただの物体でしかないのでしょうね.
「みんな書いてるから大丈夫。」
というのもあるかもしれません.
問題点は、「こういうのは問題ですね」や、
「信じられませんね」というものではなく、
「どうしてそんなことがおきているのか?」という
その原因を追求することではないでしょうか?
具体的に「何故ダメなのか?」
ということを説明すべきでは?
(そうすることはかなりな低次元なお話ですが)
と思います.
なんだか村上龍氏のエッセイみたいになってきましたが、
氏がいつも言っている、
「日本の経済は既に『格差』が生まれていることを
誰もそれをアナウンスしない。
むしろ『まぁ、何とかなるだろう』的なことで
終わっていて解決策をあいまいにする。
具体的回答がないということもあいまいにする」
につながっている気がしました.
そうすることによって、(良くわからないのですが)
原因に対するリスクマネジメントや
具体的回答が生まれてくるのではないでしょうか?
多分、それが今の社会の現状なのでしょう.
これが閉鎖的集団的日本の現状でなのでしょうか?
しかし現実問題として、同じ『日本人』の行動です.
白橋 哲 拝
<<
menu >>
<< re-load >>