「彼女が”怪物”ね」
物語も後半、エイズに侵された詩人(エド・ハリス)
が元恋人(メリル・ストリープ)が主催した
自らの賞のパーティの前にビルから飛び降り、
自らの死を選択しました.
全く生きる時代の違う3人の女性の1日を追った
この映画「めぐりあう時間たち」のワンシーンです.
何処か影がある3人の女性.
その詩人の母親(ジュリアン・ムーア)
の若い頃(1950年代)、
自分の満たされているはずの生活の中の翳り。
ある日、その息子(後の詩人)を知り合いに預けて、
ホテルで自殺しようと試みた1日.
「いつでも死ねることを知っている、
あるいはそう気づいたからには人は死ねない」
(パンフレットからの抜粋)
「ダロウェイ夫人」の作者である
ヴァージニア・ウルフ(ニコール・キッドマン)
のある1日.
小説という作品を生み出す行為・才能が、
逆に自分の精神を傷付けることを承知の上で、
文字通り「戦いながら」一つ一つの文字を
紙に落としていく.
元恋人の看病で日々を明け暮れ、
その人に「君の人生はいったいなんだったのか?」
と問いかけられて、
振り返ってみると、心の核心に触れられて取り乱す、
現代を生きる女性の1日.
すべては「パーティー」を開いて
客や大切な人をもてなそうとする
時代が違う一日が描かれています.
「空しさ」という言葉が、
そういったもてなそうとする行為の記号のように感じました.
その他者(もてなされる方)には
十分にその誠意は伝わっているのですが…
「自分がいったい何者なのか?」
というテーゼをよく人は自分自身に問いかけます.
それはものすごく深い迷宮の中に
のめり込むような問いで、
しかし、考えなければ簡単に
感じていることかもしれません.
結局は自分で見つけることより、
他人が関与してわかることなのですが.
冒頭の台詞はその詩人が死んだ後、
パーティーが中止になった悲しみの漂った部屋に、
詩人の母親が訪ねてきた時、
元恋人の娘が言った一言です.
映画全編を通して、
その時代背景の違った3人の女性の
ある意味「弱さ」や「迷い」が
表現されていたのですが、
その向き合うべくして向き合った
「死( deat h)」をいうものを通して
自らの「生( life )」の核心をを見つめていました.
結局、「そういう風に考えること=繊細で傷つきやすい」
ということが表裏一体なのかもしれませし、
他人(普通)のヒトから見ると、
それは上記のような「モロイ」存在に見えるのでしょうが、
実際はそのウズマキの中心を守るべく、
逆に強い存在なのかもしれません.
言葉を変えるなら
「存在感がとても大きい」ということでしょう.
この映画の彼女たちは、
「愛する人たちを守る」という直接的な行為ではなく、
「自分自身を守る」事で精一杯だった
不器用な人たちだったのかもしれません.
「ヒトは孤独の中に居る」
ということを受け入れつつ、
「迷い」や「不安」といったカオスの中から探し出した答えが、
たとえ何かを捨てたとしても、
実はそれがゆるぎないくらいに強く、
そこに「存在感」があるのかもしれません.
しかし、構成といい、音楽といい、脚本といい、演技といい、
筆舌に尽くしがたい最良の作品でした.
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めぐりあう時間たち
[the hours] 2002年【米】
メリル・ストリープ
ジュリアン・ムーア
ニコール・キッドマン
エド・ハリス
ジョン・C・ライリー
監督: スティーブン・ダルドリー
原作: マイケル・カンニガム
製作: スコット・ルーディン
ロバート・フォックス
撮影: シーマン・マーグガイ.bsc
音楽: フィリップ・グラス
official site
http://www.jikantachi.com/
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白橋 哲 拝
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